朝陽みき(あさひみき)のブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
以前、朝陽が【子育て応援コラム】に投稿させていただいた、
"きょうだいの愛情格差:妹ばかり可愛がる親にウンザリしていた私が、我が子の子育てから学んだこと"を紹介させていただきます。
「母は、5歳下の妹ばかり可愛がる!」
そんな恨みをひそかに持ち続けて生きてきた私でしたので、我が子の子育てには並々ならぬ想いがありました。
ふたりの息子を"等しく平等"に育てるのではあまっちょろいっ!
息子それぞれが「俺のほうが可愛がってもらえた」と思ってもらえるようにと闘志を燃やして育ててきました・・・
この"闘志"は、息子たちへの愛情であることはもちろん間違いないのですが、そうすることで、私は自分の母親に「あなたも、こう育てるべきでしたよね💢」と復讐をしていたのです。
そんな私が、子育てに徹底的にこだわってきたからこそ、気付けたことがあります。
子育てをされていない方でも、親からの愛情格差に悩んだ経験がある方にも、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです🌿
子育ては、親にとって喜びに満ちた素晴らしい経験でもありますが、様々な課題に直面することもあります。
私もその一人で、私自身が直面した課題と、谷底に落ちるような絶望から学んだことについてお話しさせていただきます。
タイトルにもありますが、私には5歳下と15歳下に妹がいるのですが、
「親は妹ばかり可愛がって、私のことは可愛がってくれなかった!」
と不公平さを感じながら生きてきました。
ですから、その反動で我が子には同じ思いは絶対にさせないぞ!と、自分がやってもらいたかったことを全部息子たちにやってあげたいと全力でやってきました。
目次
愛情表現の工夫:「親に愛されていないのではないか?」と疑われないために
息子たちの誕生日の朝は、ハッピーバースデーの歌を歌いながらベッドまで行き、
「あなたが生まれてきた日はね、台風が近づいていてね」
から始まり、生まれるまでの出来事や、名前の由来を伝えました。
息子たちもそんな私の儀式に付き合ってくれて、寝ながらでも「うんうん」とうなずきながら聞いてくれていました。
そして、最後は、
「お母さんの子に生まれてきてくれてありがとう」
「こんなに大きくなって、もうお母さんのお腹には戻れないね」
とハグして誕生日の儀式は終わります。
あなたという子がどれだけ待ち望まれたか、無事に誕生したことがどれだけの喜びを与えたのか、それを伝える時間を大切にしてきました。(この儀式は、息子たちが20歳の誕生日まで続くのでした。よく付き合ってくれました)
それから、息子たちそれぞれに、
「内緒だけど、お母さんはあなたが一番大切」
と伝えてきました。
子どもには「特別にされたい」と望む意識があり、愛情をきっちり半分この【平等】に接するのでは【平等】に感じない可能性があるからです。
私は、ふたりの息子それぞれを【特別扱い】をし、愛情を伝えてきました。
そのおかげで、とてもうまく愛情が伝わっているように感じてホッとするような気持ちが半分と、自分の親を責めるような気持ち「こうやって育ててくれればよかったのに!」という復讐心のような怒りが半分の複雑な心境でした。
一番言わせたくなかった言葉を聞いた日
それは、長男の小学校の卒業式の日。
卒業式へ向かう準備でバタバタしている私のところに、目に涙をいっぱい溜めた長男が来て、一言こう言いました。
「お母さんは弟ばかり可愛がっている」
私はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けました。同時に頭が真っ白になりました。
これだけは、絶対に絶対に感じさせないように育ててきたはずなのに•••やってしまった!と。
その数年後、中学生になった次男にも「お母さんはお兄ちゃんだけが可愛いんでしょ」と言われてます)
「親のようにはならないぞ!」
「あんな子育てはしないぞ!」
と、それまでの親への恨み節が、ブーメランのように自分に返ってきたような感じがして、順調に愛情表現ができていると感じていた私を一瞬で深い谷底に落としたのでした。
あまりにもショックでその後どうやって声をかけたのか全く覚えていないのです。
絶望から学んだこと:完璧な【きょうだい平等】は存在しない
この経験から学んだことは、子育てにおいて、完璧な【きょうだい平等】は存在しないということです。
例えば、長男に「弟ばかり可愛がっている」と言われた頃は、中学入学が近づいて、「高校受験も始まるし、勉強や、先輩との関係は大丈夫かな?」と私も焦るような気持ちがあったと感じます。
日常会話がピリピリすることも増えていました。
でも、長男を嫌っていた訳ではありません。
逆に次男は小4でしたから、おおらかに関わっていたと思います。また、そのときの受け取る側の子どもの心境によっても愛情の感じ方に差が生まれるかなと思います。
この、完璧な【きょうだい平等】は存在しないということを受け入れてから、息子たちそれぞれと話をする時間を作ることや、個性を尊重し応援してあげること、興味を持ち続けてあげることへ進み始めたような気がします。
愛情表現の進化です!時には、
「自分以外のきょうだいばかり可愛がる」
と感じさせることもあるかもしれませんが、それを起きることを恐れることはやめました。
だって、子どもは本来親が大好きで「親に愛されたい!」と願うが故に「愛されていないのでは?」と疑いやすいからです。
疑われたら、また伝えていこう!そう決めました。
あの卒業式の朝、今の私だったら、
「何ばかなこと言ってんのよ!お母さんは、あなたが大好きだよ!」
って堂々と伝えて、抱きしめると思います。
終わりに
愛する側(親)になって、誤解なく子どもに愛情を伝え続けることの難しさを学びました。
すると、私がずっと抱えてきた「親は妹ばかり可愛がった」と恨むような気持ちに変化が起きました。
私は、ここには書ききれない程、息子たちへの愛情表現を工夫してきたんです。
そんな私でさえ、子どもたちに誤解をされるとしたら、私の親は、、、
「愛情はあっただろうけど誤解されるわな!」
と感じることができて何だか笑えてきたんですよね。
それに誤解とは言え、親を恨むことで息子たちへの愛情のバリエーションが増えたことにも今となってはとても感謝しています。
(恨みパワーばんざいです)
これを読んでくださっている方の中にも、自分の傷や悲しみを、優しさや愛情に変えてきた方がいるのではないでしょうか?
ちょっと立ち止まって感じてあげる時間を作ってみてくださいね。
私のこの経験が少しでもお役に立てたら幸いです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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